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皇紀2671年度。

錦鰐、錦鮫、錦鯱、錦の御旗

錦鰐、錦鮫、錦鯱、錦の御旗

 女

 女。
 女・ルーシェルは、犬、ロボット、身体障害者、犯罪者、死刑と、順番に、堕落して行きます。
 その後、数億年の地獄魔界での悪業の清算を経て、水晶に成ります。
 さらに、十数億年の地獄魔界での悪業の清算を経て、宝石に成ります。
 私は水晶の事を無・英国女王・赤鬼と言い続けています。
 富士山の火口に飛び込んで自殺した国之常立神・赤鬼は、無だから。
 ところが、外国の方々にとっては、無ではない。
 ここからが、青鬼の出番と。
 銀河神菊理媛と。
 皇太子・イエスキリストは、赤鬼・国之常立神・エホバに成ったら終わり。
 しかし、皇太子妃・ルーシェルは、銀河、宝石に成るまで、精進努力を続ける。
 青鬼の世界。
 エホバ・南阿弗利加の両足義足のアスリート・ゴールドメダリストは、バレンタインデーに、自分の恋人の金髪白人女性・ルーシェルを銃殺した。
 バットで殴り殺した。
 エホバは無まで。
 宝石には成らないようです。

 錦鱗、錦の御旗

 ワニ、サメ、シャチの鱗が錦に成る未来。
 これが青鬼・銀河神菊理媛の発動した世界。
 錦鯉、錦蛇だけではなくて、錦鰐、錦鮫、錦鯱が存在する世界。
 神は現実の担任だから、錦鰐、錦鮫、錦鯱が存在するように成る。
 以上、全存在界の全存在方へ、報告致しました。以上、謹んで、核之超神霊様に、御報告致しました。以上、天命界の全ての超神霊様に、御報告致しました。

にしき【錦】
1 種種の色糸や金銀の糸を横糸に使ってきれいな模様を織り出した、厚い高価な絹織物。
用例・作例
―を飾る〔=出世した姿を故郷の人に見せる〕
2 色彩・模様などのきれいなもの。
用例・作例
もみじの―
かぞえ方
1は一片。売買取扱いの単位は一坪(ヒトツボ)
【錦絵(―ヱ)】
木版・色刷りのきれいな浮世絵。
かぞえ方
一枚
【錦木(ぎ)】
枝にコルク質の羽状の突起が有る落葉低木。秋のもみじが美しい。〔ニシキギ科〕
かぞえ方
一株・一本
【錦の御旗(みはた)】
赤地の錦に日月を金銀で描いた、官軍の旗。〔だれも反対出来ない、りっぱな口実の意にも用いられる。例、「平和のためという―を掲げる/…を―に」〕
【錦蛇(へび)】
熱帯産の巨大なヘビ。無毒で、背中にまだらが有る。〔ボア科〕
かぞえ方
一匹
Shin Meikai Kokugo Dictionary, 5th edition (C) Sanseido Co., Ltd. 1972,1974,1981,1989,1997

にしき【錦】
1 〈織物〉 Japanese brocade.
2 〈美しいもの〉
句例
もみじの錦 《形式》 the splendor of autumn-tinted maple leaves ⇒せきひん(赤貧洗うが如し) 文例.
錦を飾る return home loaded with honors.
錦の御旗(みはた) the Imperial standard (made of gold brocade); 〈比喩的〉 《形式》 a sacred [worthy] cause
文例
彼らは政界浄化を錦の御旗にして反対勢力を粛正している. They purge the opposition on the pretext of cleaning up the political world.
錦絵 a color [colored woodblock] print.
New College Japanese-English Dictionary, 4th edition (C) Kenkyusha Ltd. 1933,1995,1998

錦の御旗
出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』
浮田可成・画、錦旗(赤地大和錦御旗)。
日像と神号が書かれている。

 錦の御旗(にしきのみはた)は、天皇(朝廷)の軍(官軍)の旗。略称錦旗(きんき)、別名菊章旗、日月旗。赤地の錦に、金色の日像・銀色の月像を刺繍したり、描いたりした旗(この日之御旗と月之御旗は二つ一組)。朝敵討伐の証として、天皇から官軍の大将に与える慣習がある。承久の乱(1221年(承久3年))に際し、後鳥羽上皇が配下の将に与えた物が、日本史上の錦旗の初見とされる。

目次
1 戊辰戦争と錦の御旗
2 錦旗紛失事件
3 錦旗革命事件
4 転用
5 関連項目
6 外部リンク

戊辰戦争と錦の御旗
 1868年(慶応4年)正月、鳥羽・伏見の戦いにおいて、薩摩藩の本営であった東寺に錦旗が掲げられた。この錦旗は、慶応3年10月6日に薩摩藩大久保利通長州藩品川弥二郎が、愛宕郡岩倉村にある中御門経之の別邸で岩倉具視と会見した際に調製を委嘱された物であった。

 岩倉の腹心玉松操のデザインを元に大久保が京都市中で大和錦と紅白の緞子を調達し、半分を京都薩摩藩邸で密造させた。もう半分は数日後に品川が材料を長州に持ち帰って錦旗に仕立てた。その後戊辰戦争の各地の戦いで薩長両軍を中心に使用され、新政府(官軍)の証である錦旗の存在は士気を大いに鼓舞すると共に、賊軍の立場とされてしまった江戸幕府側に非常に大きな打撃を与えた。 当時土佐藩士として戦いに参加し、のちに宮内大臣や内閣書記官長などを歴任した田中光顕は、錦の御旗を知らしめただけで前線の幕府兵達が「このままでは朝敵になってしまう」と青ざめて退却する場面を目撃している。

 戊辰戦争に使用された錦旗及び軍旗類は、明治維新後は陸軍省遊就館宮内省図書寮に保存された。1888年明治21年)日本政府の依頼で、長州藩出身の絵師、浮田可成(うきたかせい)により、17種34枚の絵図にされ、『戊辰所用錦旗及軍旗真図』(ぼしんしょようきんきおよびぐんきしんず)4巻にまとめられた。

錦旗紛失事件
 神戸事件の影響を受けて、1868年(慶応4年)年1月14日に土佐藩士の本山茂任が土佐藩へ運ぶ途中の「錦の御旗」をフランス兵に奪われるという前代未聞の錦旗紛失事件が起きている(のち返還される)

錦旗革命事件
 大川周明は、共産主義革命に対抗して天皇を頂点とする「錦旗革命(きんきかくめい)」を起こして、日本を正しい方向に導くべきだと唱えた。このため、大川自身も計画に参加した陸軍将校によるクーデター計画・十月事件を「錦旗革命事件」とも称する。

転用
 「錦の御旗」という言葉は、その意味合いから転用され、現在では「自身の主張・行為を正当化し、権威づけるもの」を指す意味でも用いられる。

関連項目
官軍
賊軍
軍旗
日本の旗一覧

錦旗紛失事件

外部リンク
戊辰所用錦旗及軍旗真図 - 国立公文書館・デジタルギャラリー
公文附属の図・二九四号 戊辰所用錦旗及軍旗真図 - 国立公文書館「公文書にみる日本のあゆみ」
錦の御旗をみる-YOMIURI ONLINE - 田中光顕の回想

カテゴリ: 日本軍、日本の旗

 最終更新 2013年3月7日 (木) 00:18 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。