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皇紀2671年度。

有頂天

有頂天

うまく話をするために 第3回 究極の会話術:ゾーン状態上祐史浩

http://ameblo.jp/joyufumihiro/entry-12039407131.html

 この文書を、一言で言えば、有頂天です。有頂天について、書いていると。私に言わせれば、有頂天は、徳分を浪費するだけなので、無駄。うまく話をする意味は、徳分の浪費かな?。天国と。天国体験をしたいという事かな?。その為に、徳分を積んで、そして、その積んだ徳分を遣って、天国体験をしたという事でしょう。

 私の現実感覚では、うまく話をするために、ではなくて、有用な話、有意義な話、役に立った話をする、と成ります。

 仕事と。仕事は、苦労、労働です。お客様に、商品・サービスを、提供する事だから。自分にとっては、苦労、労働。それが、仕事と。

絶歌(酒鬼薔薇聖斗の本)の出版に関して |上祐史浩

http://ameblo.jp/joyufumihiro/entry-12039445249.html

上祐史浩
出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』
概要
 福岡県三潴郡城島町(現・久留米市)で銀行員の父と元教師の母の間に生まれる[2]。その後、父親が東京の貿易会社に転職し、一家で上京するが、父親の女性問題によって離婚、母子家庭となる。早稲田大学高等学院早稲田大学理工学部を経て、1987年早稲田大学大学院理工学研究科修士課程を修了し、同年4月に特殊法人宇宙開発事業団(現:独立行政法人宇宙航空研究開発機構)に入る。早稲田大学在学中の1986年(昭和61年)8月に「オウム神仙の会」に入会する[2]。フジテレビアナウンサーの軽部真一は高等学院・早大の同級生である。宇宙開発事業団は、翌年には退職、出家する。

1980年代
 大学在学中、サークルでディベートの技術を学ぶ。ディベートサークルの活動を通じて、苫米地英人と面識があった[3]。大学時代より超常現象チベット仏教教団活動などに強い興味を持っていたが、オカルト雑誌『トワイライトゾーン』に掲載されていた麻原彰晃の空中浮揚写真記事をきっかけに、1986年に、同誌で紹介されていた麻原彰晃主催で後のオウム真理教となるオウム神仙の会に入会する。 大学院を出た後宇宙開発事業団に就職するも1ヶ月で退職し、恋人の都沢和子と共に出家信者となった。出家番号は13。入会後は都沢と別れ都沢は麻原の愛人となる。

1990年代
衆議院選挙オウム出馬
 早川紀代秀が推進した1990年の第39回衆議院議員総選挙に、真理党として教団幹部の立候補にも最後まで猛反対していたと伝えられている。この選挙が惨敗に終わり、麻原が大勢の信者達を前に話した「国家権力によって票のすり替えが行われた」という陰謀論にもただ一人異議を唱え、「自分独自の電話調査では麻原彰晃に投票すると言った有権者は100名中誰もいなかった」と発言。一人で数分間に及ぶ反駁を続けた。

神戸連続児童殺傷事件
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酒鬼薔薇聖斗から転送)
標的 小学生
概要 少年による連続殺傷事件
武器 ハンマー、ナイフ
死亡者 2名
負傷者 3名
犯人 当時14歳の中学生

さあゲームの始まりです
愚鈍な警察諸君
ボクを止めてみたまえ
ボクは殺しが愉快でたまらない
人の死が見たくて見たくてしょうがない
汚い野菜共には死の制裁を
積年の大怨に流血の裁きを

SHOOLL[33] KILL
学校殺死の酒鬼薔薇
— 高山(2001b)、pp.131-132

 ※「汚い野菜共には死の制裁を」。これ、森喜朗、北欧転生、妖精への怒りの表現なのかな?。「積年の大怨に流血の裁きを」。聖書の主なる神は、北欧転生、妖精という権力をやり続けている。その闘い、戦い?、の相手側からの言葉かな?。

 これ、有志連合のイスラム空爆と、私には、重なる。

 精神鑑定結果と犯行の動機成人の刑事裁判と異なり、少年審判は非公開であり、審判の内容は公開されず、審判の結果も公開されないか報道されない事例が大部分であり、多くの人々に注目された事件の審判の結果(初等少年院中等少年院医療少年院への送致など)が公開され報道される程度であるが、この事件は人々からの注目度が著しく高かったので、家庭裁判所は例外的に精神鑑定の結果を公開した[51]。

 精神鑑定結果として下記に示す少年の特徴が解明された[52]。

 脳のX線検査、脳波検査、CTやMRIによる脳の断層検査、染色体の検査、ホルモン検査に異常は無い。
 非行時・鑑定時とも精神疾患ではなく、意識は清明であり、年齢相応の知的能力がある。
 非行時・鑑定時とも離人症状と解離傾性(意識と行為が一致しない状態)があるが、犯行時も鑑定時も解離性同一性障害ではなく、解離された人格による犯行ではない。
 未分化な性衝動と攻撃性の結合により、持続的で強固なサディズムがこの事件の重要な原因である。
 直観像素質(瞬間的に見た映像をいつまでも明瞭に記憶できる)者であり、その素質はこの事件の原因の一つである。
 自己の価値を肯定する感情が低く、他者に対する共感能力が乏しく、その合理化・知性化としての虚無観や独善的な考え方がこの事件の原因の一つである。
 この事件は長期的に継続された多様で漸増的に重症化する非行の最終的到達点である。
 少年は小学校5年の時から動物に対する殺害を始め、最初はなめくじやかえるが対象だったが、その後は猫が対象になった[53][54][55]。少年自身が友人に、全部で20匹ぐらいの猫を殺したと語っている[54]。標準的な人は性的な発育が始まる以前の段階で、性欲や性的関心と暴力的衝動は分離されるが、少年は性的な発育が始まった時点で性欲や性的関心と暴力的衝動が分離されず(鑑定医はその状態を未分化な性衝動と攻撃性の結合と表現した)、動物に対する暴力による殺害と遺体の損壊が性的興奮と結合していた。性的な発育過程にある標準的な感覚の男子は、自分の周囲の同年代の女子や少し年上の女性を、性欲を発散する対象として想像しながらオナニーをして(または生身の女性と現実の性交をして)性欲を発散し、性的な経験を積み重ねながら肉体的・精神的な成長をして行くのだが、少年は動物を殺害して遺体を損壊することに性的な興奮を感じるようになり、猫を殺して遺体を損壊する時に性的な興奮や快楽を感じて性器が勃起し射精した。少年はその性的な興奮や快楽の感覚や要求が、人を殺害して遺体を損壊することによって、猫の殺害と遺体損壊よりも大きな性的な興奮や快楽を得たいとの欲求へとエスカレートし、それが自分の運命と思い込むようになり、この事件を行ったのであり、殺人の動機の類型としては快楽殺人である。

 少年は鑑定医から被害者を殺害したことについて問われると、自分以外は人間ではなく野菜と同じだから切断や破砕をしてもいい、誰も悲しまないと思うと供述した[56]。被害者の遺族の悲しみについて問われると、あの時あの場所を通りかかった被害者が悪い、運が悪かったのだと供述した[57]。女性に対する関心はあるかと問われて、全く無いと答えた[58]。

 精神鑑定結果は、少年に完全な責任能力はあるが、成人の反社会性パーソナリティ障害に相当する行為障害(18歳未満の場合は人格形成途上なので行為障害と表現する)があり、鑑定医の意見としては、行為障害の原因を除去して、少年の性格を矯正し、Aが更生するためには、長期間の医療的処置が必要(医療少年院への送致が最も適切な処遇)との提案がされた。

その後の少年の処遇
 神戸家庭裁判所1997年(平成9年)10月13日 - 神戸家庭裁判所は少年を医療少年院送致が相当と判断、関東医療少年院に移される。
 1999年(平成11年) - 第二の事件で死亡した女児の遺族と少年側で約8,000万円の慰謝料を支払うことで示談成立。
 2001年(平成13年)11月27日 - 治療が順調であるとの判断から、東北中等少年院に移る。
 2002年(平成14年)7月 - 神戸家庭裁判所は、治療は順調としながらも、なお綿密な教育が必要として、収容継続を決定。
 2004年(平成16年)3月10日 - 成人した少年は少年院を仮退院。この情報は法務省を通じ、被害者の家族に連絡された。
 2005年(平成17年)1月1日 - 少年の本退院が認可される。
 2005年(平成17年)5月24日 - 被害者少年の八周忌。少年が弁護士を通じて、遺族に献花を申し出ていた事が明らかになる。遺族は申し出を断った。
 2007年(平成19年)3月 - 第二の事件で死亡した女児へ、医療少年院退院後、初めて謝罪の手紙が届けられた。しかし遺族は「必死に生きようとする姿が見えてこない」と賠償についても疑問を投げかけた。現在遺族への慰謝料は、少年の両親が出版した本の印税の他、1ヶ月に少年から4,000円と両親から8,000円支払われていると報道された[59]。
 少年の更生法務省は従来の矯正教育計画を見直し、収容期間を2年以上に延長した新課程「G3」を新設し、関東医療少年院は、精神科医法務省教官など専門家で作るプロジェクトチームを編成した[60]。

 精神鑑定で家庭における親密体験の乏しさを指摘されたのに対し、関東医療少年院は男性の主治医を父親役、女性の副主治医を母親役に配するなど「疑似家族」を作り上げるという前例のない治療体制が組まれた[61]。更生は一定の効果を見せたように思えたが、少年が入院して1年ほど経った頃、少年院の工作の実科(授業)で、新聞広告のチラシを切り抜いて画用紙に貼り付け、コラージュを制作した時に、少年は乳児の写真を目や耳、手足など部位別に一つ一つハサミで細かく切り刻んで、それを画用紙にわざとバラバラに貼った作品を作って、「精神と肉体の融合」の題を付けて発表した[62]。また、少年が「理想の母親のような」人と慕う女性精神科医について、院生の一人が「色っぽい白ブタ」と発言し、その途端、少年は物凄い形相で激昂して、近くにあったボールペンを逆手に持って、院生の目を突き刺そうとした[63]。少年院関係者は「この言葉によって、少年の殺意の引き金がひかれてしまい、それまでやっと積んできた矯正教育の成果がパーになってしまったわけだ」と語っている[64]。また、少年自身が少年院仲間に「いくら遺族の手記を読んでも、薬を飲んでも、治らないんだよ。僕は性格が異常なんだから……」「闘争と破壊こそ真の世界の姿だが、少年院ではいい子にしていなければ出られないから気をつけなくちゃ……」と発言している[65]。

 2001年11月、東北中等少年院に移送された後に、院生からいじめを受け、さらに院生の一人がたまたま教官の持っていた書類を盗み見たところ、少年が偽名であることが発覚[66]。「お前、まさかあの酒鬼薔薇なのか」と問いかけると、少年がニヤッと笑って頷いたという噂がひろまり、少年の正体が一部の収容者にばれたという[66]。その後、いじめが過激になり、2002年初夏に突然、半裸状態で意味不明の奇声を発し、職業訓練で使うカッターナイフを振り回し、周りを威嚇し始めたという[67]。教官らが駆けつけ、ほかの院生を連れ出し、少年を取り囲んで説得を始めたが、カッターナイフで自分の性器を切り付けたという[67]。少年は直ちに個室に軟禁されて、事情聴取を受けたが、なかなか興奮が冷めず危険なうえ、動揺が激しく、何を言っているのか分からなかったため、最終的に「奇行」と断定された[67]。

 この騒動の後、神戸家裁が「少年の犯罪的傾向はまだ矯正されているとは言えない」と判断を下し、2004年末まで少年院収容継続を決定した[68]。しかし、関東医療少年院は2003年3月に少年の仮退院を申請している[68]。被害者からは「神戸家裁の判断から半年余という短い期間で突然、少年が変身したとでも言うのか」という批判や疑問の声が上がった[68]。

少年の現在
 一橋文哉が、2004年秋に法務省幹部に取材を行ったところ、「ある団地の一室で法務省関係者と同居し、一緒に炊事や買い物を行うなど社会勉強中です。少年院で取得した溶接の資格を生かし、仮退院の数日後から毎朝8時、篤志家の一人が経営する工場に歩いて出勤し、仕事ぶりは極めて真面目。夕方5時に退社後は、保護司宅で面談を受ける日々です。ほかに毎週1回、精神科医のカウンセリングを受け、10日に1回程度は、母親とも会っているようです」と語っている[69]。また、法曹関係者は「別の身元引受人と養子縁組して名前を変えたほか、出生地や学歴など偽のプロフィールを用意し、同僚や付近住民も正体を分かっていません。年齢も22歳になり、少年院で毎日、5階までの階段ダッシュを15往復、腕立てと腹筋を各100回こなし、身長170センチ、体重70キロと心身ともに逞しくなった。事件当時の写真を見た人でもまず、今の彼は分からないでしょう」「犯罪者予防更生法で1週間以上の旅行は許可が必要など、ある程度の制約は受けていますが、酒は飲めるし、好きなテレビゲームに嵌まるなど基本的に自由な生活を送っています。しかも04年末までの保護観察期間が過ぎれば、同居者も姿を消し完全フリーになるんです」と語っている[70]。

 少年の居住地や勤務先について、法務省は「彼の更生には世間の温かい理解と協力が重要だ。公表は支障をきたす」とノーコメントを通し、マスコミや市民団体に、意図的に偽情報を流しているフシがあるという[71]。全国各地で「酒鬼薔薇が東京都内の保護司宅で新しい生活を始めた」「埼玉県に住む身元保証人と養子縁組し、全くの別人に生まれ変わった」などの情報が乱れ飛んだ[71]。少年が住んでいた神戸市でも、地元住民が「少年が家族とともに舞い戻るのではないか」と疑心暗鬼に陥っているという[71]。

 一橋の取材によると、少年の更生プログラムの病理診断の欄に「現時点にあっても、少年の病理は『寛解』段階に過ぎない」とあり、「現時点」は「退院しても問題ない」とされる「総括期」を指しており、少年の性的サディズムは治癒しておらず、退院直前でも再発する可能性が十分あることを、法務省が認めていたことになっている[72]。また、前述のように退院間近の少年が少年院で問題を起こして、誰もが「性障害が完治していなかった」と医療少年院に戻されると思っていたが、「何しろ、この段階で少年を送り帰そうものなら、仮退院はパー、国家の威信をかけた更生プログラムを組んだ法務省の面子は丸潰れになる。そこで院内には厳重な箝口令が敷かれ、何と少年の奇行はウヤムヤになり、社会復帰のための最終的な研修は予定通り終了したことになってしまった。上層部は保身に走り、現場の少年院も『やるべきことはすべてやった。こうなれば一刻も早く、少年を手放したい』という腫れ物に触るような弱腰姿勢が見え見えだった。もっとも更生したかどうかの決定的な証拠など、何もないからね」と法務省幹部が語っており、一橋は「冗談ではない。人間の一生や人々の安全というものは、役人の面子や保身で決める話ではあるまい」と批判している[73]。

 少年に関するエピソード

 少年が在籍していた友が丘中学校の当時の校長である岩田信義は、少年には問題行動、正確にいえば、風変わりな行動が多かったと証言している[74]。

 他の生徒の靴を隠して燃やす、ラケットで何もしていない生徒の頭を叩く、カッターナイフで他の生徒の自転車のタイヤを切るといった行為があったといわれ、少年が在籍していた小学校からは「刃物を一杯突き刺した不気味な粘土細工を制作していた」という報告を受けたという[75]。

 担任の話によると、少年の表情は総じて動きに乏しく、注意しても教員の顔を直視することがなく、心が別のところにあり、意識がずれ、言葉が届かない感じを受けたという[76]。

 しかし、これら少年の行動は思春期前期の子供にままみられるパターンであり、非行と奇行のはざまにある行動だと岩田は指摘している[76]。

 中学校では入学早々から繰り返される少年の問題行動に手を焼いていた。少年の保護者も精神科医に診察を受けさせていたが、精神科医は学校の中で指導する方がいいという判断を下し、児童相談所には通所させなかった。それを受けて、学校は重点的に少年を指導し、事実、1年生の2学期になると問題行動は減ったという[77]。

 それでも、教員の一部にはうちの学校で事件をやったとするならば少年ではないかという認識が煙のように漂っていたという。岩田はそういう話を聞くたびに「軽々しく口にすべきではない」と制止したが、岩田も「ひょっとしたら」と思っていたという[78]。

 1996年(平成8年)5月11日、当時、中学2年生の少年は母の日のプレゼントに母の花嫁姿の絵を描いて渡す[79]。前日に「母さん、何がほしい?」と聞く少年Aに、母は「気持ちさえこもっていたら、別に何でもええよ。無理せんで」と答える[79]。すると、少年は両親の結婚式の写真を押入れから出すと、「母さん、この女の人、誰や?」と問うので、「母さんなんやけど」と答えると「へー」といって、少年はその写真を見た後、マンガ用の画用紙の裏に一気にその絵を描き上げ、母に手渡すと、スーッと2階へ上がっていった[79]。少年が母にプレゼントをしたのはこれが初めてであった[80]。

 少年は、第3の事件の犯行の9日前の5月15日から、友が丘中学校には登校せず、母親とともに神戸の児童相談所に通い始めていた[81]。これは、5月13日に同級生を公園に呼び出し、自分の拳に時計を巻き付けて殴り、歯を折るなどの怪我を負わせたため、5月14日に学校から父親が呼び出しを受け、その後、両親が相談の上、学校を休ませ、児童相談所を紹介してもらったためである[82]。暴行の原因は「竜が台の通り魔事件の犯人にまちがいない」と被害者の同級生がいいふらしていたためと少年の仲間は答えているが[83]、少年は「犯行ノート」に「アングリ(聖なる儀式)」を遂行する第一弾として学校を休むことにした」と書いていた[84]。

 加害者である少年の父親はその後文藝春秋より『「少年A」この子を生んで…』を刊行している。事件後、父親は親戚の元へ身を寄せ、また離婚して苗字を改名した。他にも弟二人がいたが、追及を避けるため、別の土地で暮らす手段が採られた[85]。

 ある時、被害者への謝罪に関し、警察官は少年の父に対しこう質問した。「お父さん、2月10日、3月16日の被害者の名前はご存知ですか?」−これに対し、少年の父は答えられなかった。警察官は、父親に、加害者家族の苦痛を斟酌した上で、それ以上に被害者の家族が苦しみながら生きていることを諭した[86]。

 アメリカでの報道事件当初、アメリカでは大した規模での報道は行われていなかった[105]。しかし、犯人が14歳の中学生と分かった翌日の6月29日に各紙で取り上げられた[105]。日本社会に大きな影響を与えた事件として、事件の全容を概括している[105]。

 1ヵ月前に発生した猟奇的殺害事件は、比較的凶悪犯罪の少ない日本全体を震撼させる大事件であり、橋本総理も解決に全力を傾けるよう、警察当局に指示を与えていた。犯人は警察や新聞に「殺人が楽しくてたまらない」など挑戦状を送り付け、次の犯行予告まで行い、犯罪心理学者らはその犯人像を20-40歳と推測していた。
 警察当局は500人の警官を投入して遂に被疑者逮捕にこぎ着けたが、発表によると被疑者は同地区に居住する14歳の中学生ということであった。この地域は最近、猫が殺されるなど残虐行為の痕跡があり、これをつめることが逮捕に至ったようだ。
 容疑者逮捕は一応、人々の心を落ち着かせたようだが、容疑者が14歳であるという事実が再度、国中に衝撃を与えているようだ。社会の風潮、インターネットなど、今度はかかる若年者を殺人者に仕立てていく日本の内部構造の解明が新たな要望として浮上してくる[106]。

 — ワシントン・ポスト

 日本をゆるがした小学生殺人・遺棄事件で、日本社会全体をはじめ警察をも犯人を凶悪な大人と想定して調査を続けてきたが、28日、この事件は14歳の中学三年生が容疑者として連行され、事情聴取の末、自白に追い込むという結末を迎えた。日本では19歳以下を少年法対象として保護するが、本件犯人も少年で刑事被告の対象とならない。最終的には20歳までの保護処分といったことになろう。
 日本はこの事件のショックに動揺し、改めて家庭、社会、教育に関する議論が活発となる。10代の倫理道徳に関する議論も盛んとなっている。だが、日本の犯罪は統計的に見れば欧米のそれよりも遥かに低い[107]。

 — ニューヨーク・タイムズ

 日本中を騒がせた猟奇殺人事件で14歳の中学生が容疑者として逮捕された。
 少年は被害者の知己であり、地域社会の普通の中学生である。この犯人は書状を新聞社などに送り付け、捜査を混乱させるとともに、世間には変質的な大人の犯行を思わせてきた。
 近隣の住民は犯人逮捕に安堵したと同時に、それが地域内の少年であった事実にショックを隠せない。警察は当初から大人数の捜査官を投入していたが、鳩や小動物を殺していた学生を犯人として追い込んだ手順に関してはその説明を拒否している[108]。

 — ワシントン・タイムズ

 少年の手記「絶歌」

 2015年6月11日、少年は自身の犯行理由や医療少年院を出た後の生い立ちなどを綴った「絶歌」というタイトルの手記を書き、太田出版から刊行した[132]。被害者の少年の父親は「文字だけで反省の弁を綴ったものであり、心底から反省した態度から出たものではない。」と評して手記や出版自体を批判し、手記を出版しないように求めており、手記出版はそれらを押し切る形でなされたものであった[133]。太田出版は「批判やおしかりは承知の上であり、元少年の心の中や犯行の経緯・元少年の現状を世の中に伝えるためにあえて出版に踏み切った。」というコメントを発表している。

 ※印税を寄付せよというのは、今なお、彼を、犯罪者扱いしていると、私は、思います。それは、現実ではない。現実は、出所出来たら、犯罪者ではない。だから、印税を寄付せよは、変。私は、彼が得た印税で、自らの生活費を払って、社会人の現実を、身に受けるべきで有ると思います。それが、社会人の普通だから。それが、彼が、彼が被害者に与えた痛み、猫の痛みも、身に受けられるように成っていく事だと、思います。甘いですか?。彼に、社会人の現実を与えて上げる、上げたいという私の思いは。彼を、社会から、阻害し続けなければいけないのですか?。彼に、社会人の体験、経験を、与えてはいけないのですか?。雌雄を決する戦いなのだから、という事なのですか?。以上、全存在界の全存在方へ、報告致しました。以上、謹んで、核之超神霊様に、御報告致しました。以上、天命界の全ての超神霊様に、御報告致しました。以上、全衛星、全惑星、全恒星、全銀河、全星雲、全星団、…、全宇宙の方々に、御報告致しました。

 彼が得た印税で、生活費を払わなければ、本を読んだ方々の反応が、解らないと。自らの身で、その反応を、学べないと。そんな事をしてはいけないと、私は、主張したいです。民主主義の否定。自らが書いた本をお金を払って、購入して、読んで下さった方々からの反応を、経験する、非童貞の場合なら、体験する、というのは、日本国に於ける基本的人権と、私は、思います。そういう超超超超超超超超超超超超超超超超超超地道な積み重ねでしか、日本国の治安は護られないと、私は、思っているのですが。変ですか?。以上、全存在界の全存在方へ、報告致しました。以上、謹んで、核之超神霊様に、御報告致しました。以上、天命界の全ての超神霊様に、御報告致しました。以上、全衛星、全惑星、全恒星、全銀河、全星雲、全星団、…、全宇宙の方々に、御報告致しました。

 平成に成って、壊れまくった日本国を、昭和に戻す為に、書きました。超超超超超超超超超超超超下っ端の日本国、明治維新から必死に成ってつくった日本国が、英欧米の列強に、植民地化されない為に、必死で、頑張った、その昭和天皇の生き様が有った昭和。米国の女性に、洗脳支配されてしまった平成天皇との違い。平成は、米国のママの子にされてしまったと言えるくらい、精進努力をしなくなってしまった。以上、全存在界の全存在方へ、報告致しました。以上、謹んで、核之超神霊様に、御報告致しました。以上、天命界の全ての超神霊様に、御報告致しました。以上、全衛星、全惑星、全恒星、全銀河、全星雲、全星団、…、全宇宙の方々に、御報告致しました。

 教養とは、地球人類七十二億の中の一人の自覚。それが、教養の意味です。万が一、誰も言えていないのなら、私の言葉に致します。辞書に載せて欲しい。未来の地球人類の方々へのお願いです。以上、全存在界の全存在方へ、報告致しました。以上、謹んで、核之超神霊様に、御報告致しました。以上、天命界の全ての超神霊様に、御報告致しました。以上、全衛星、全惑星、全恒星、全銀河、全星雲、全星団、…、全宇宙の方々に、御報告致しました。

 乾杯は女・ロボット

 乾杯は女・ロボット。乾杯は、女・ロボット、雲?。

 土壌

 土壌。植物も、土壌に、根を張って、土壌から、養分を吸い上げて、生長し続けている。アナウンサーにとっては、現場。社会、世の中の現場。土壌の微生物は、亜細亜かな?。蚯蚓、ミミズ、みみずく。これが、生物目線。婚前セックスの担任を、小学校でされてしまった方々は、動物なので、亜細亜亜細亜蚯蚓、ミミズ、みみずく目線で、生きていなければ、生物の自分を養えないかな?。土壌、土星、太陽系惑星の地獄が、生物の原点です。土星に根を張って、太陽系惑星の地獄を僅か、微か、生物に変えた。それが、生物の生きざまかな?。

 スペイン、ワルシャワ、モスクワ

 スペイン、ワルシャワ、モスクワ。私は、三年間、一年、中一所属だった。中二は、身体障害者の担任かな?。童貞だから、身体障害者の担任は出来ない。中三は、スペイン、プラハの春だった。スペイン、ワルシャワ、モスクワ。それが、地球人類の路程かな?。

ワルシャワ
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 ワルシャワ(WarszawaPl-Warszawa.ogg [varˈʂava][ヘルプ/ファイル];ヴァルシャヴァ、英: Warsaw、ワルソー[ˈwɔːrsɔː])は、ポーランドの首都でかつポーランド最大の都市。マゾフシェ県の県都中央ヨーロッパの政治、経済、交通の要衝でもある世界都市。ヴィスワ川中流、マゾフシェ地方に位置し、市内をヴィスワ川が貫通する。第2次世界大戦後、戦火で荒廃した旧市街を「煉瓦のヒビに至るまで」復元して往時の町並みを回復した。1980年にユネスコによって「ワルシャワ歴史地区」として世界遺産に登録された。

 製造業、鉄鋼業、電機産業、自動車産業などの工業都市であり、ワルシャワ大学を初めとするポーランド有数の高等教育機関が集中し、歌劇場やワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団を擁する文化都市でもある。

 毎年8月1日の午後5時、サイレンの音を合図にワルシャワ市民の全てがその場で直立不動となり1分間の黙祷を捧げる。歩行者だけでなく、公共交通機関および高速道路を走行している車両を除いた全ての車両も通りのその場で停止、乗車している人々は車外に出て直立不動となる。この1分間は全ワルシャワ市が機能をほぼ完全に停止する。これは1944年8月1日午後5時に開始されたワルシャワ蜂起での犠牲者を追悼する行事。この時刻およびその行事は、ワルシャワ(Warszawa)の頭文字をとって「時刻W」と呼ばれる。

ワルシャワ蜂起
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 曖昧さ回避 この項目では、1944年8月にワルシャワで発生した武装蜂起について説明しています。1943年4月にワルシャワ・ゲットーで発生した武装蜂起については「ワルシャワ・ゲットー蜂起」をご覧ください。

 ワルシャワ蜂起(ワルシャワほうき、ポーランド語:Powstanie Warszawskie)は、第二次世界大戦末期、ナチス・ドイツ占領下のポーランドの首都ワルシャワで起こった武装蜂起である。

経過
蜂起
 ポーランド国内軍が捕獲し、ナポレオン広場に通じる病院通りのバリケードに組み込まれた軽駆逐戦車ヘッツァー。後に修理され「フファット」と名付けられたが、置かれていた中央郵便局の爆撃で、瓦礫に埋もれ放棄された。

 ドイツ軍に占領されたビルを銃撃する国内軍兵士

 1944年6月22日から開始された赤軍によるバグラチオン作戦の成功によりドイツ軍の中央軍集団は壊滅、敗走を重ねた。ドイツ軍は東部占領地域に再編成・治安維持のために駐屯する部隊をかき集めて戦線の穴を埋めて防戦に努めた。

 赤軍占領地域がポーランド東部一帯にまで及ぶと、ソ連ポーランドレジスタンスに蜂起を呼びかけた。7月30日には赤軍ワルシャワから10kmの地点まで進出。占領も時間の問題と思われた。ポーランド国内軍はそれに呼応するような形で、8月1日、ドイツ軍兵力が希薄になったワルシャワ武装蜂起することを赤軍と打ち合わせた[1]。

 7月31日、ドイツ軍が猛反撃を行い赤軍は甚大な損害を被る。さらに赤軍は補給に行き詰まり、進軍を停止した。

 国内軍には赤軍の進撃停止の情報は伝えられなかった。にもかかわらず、その直前の7月29日にはモスクワからは蜂起開始を呼びかけるラジオ放送が流れ続けており、赤軍の位置からそのワルシャワ到着は大きくは遅れないと判断された。

 8月1日17時ちょうど、約5万人の国内軍は蜂起を開始。兵士達は橋、官庁、駅、ドイツ軍の兵舎、補給所を襲撃する。

 この時刻は「W」と呼ばれ、現在でも毎年8月1日の同時刻にワルシャワではサイレンが鳴り渡り、市民がその場で動きを止め、各自で1分間の黙祷を捧げるのが恒例行事となっている。

 モルダウ

 モルダウ交響詩「我が祖国」〜モルダウの流れ。ボヘミアの川。

 子ブッシュの弟ブッシュ

 子ブッシュの弟ブッシュ。今朝、松尾由美子が白く成っていた。バラク・オバマから、子ブッシュの弟ブッシュに成っていると考えられます。白いコーヒー。マイケル・ジャクソン。子のボーイが、孫に成ったのかな?。

 擬態

 擬態。騙した方々は、生まれ変わった時、自分がやった事が返って来て、騙される。それがカルマの基本。だから、カルマの返済とは、前世霊のカルマの返済。同じ事をやってしまった場合は、自身のカルマ。前世霊は、ダブル、再犯。あの世で、自身のカルマの修正が出来ていなかったと。これが、普通の日本です。外国の場合は、王の普通です。王の事を、外人と言います。

 合掌

 合掌。童貞の三浦市立K中学校&藤沢市立T中学校&F中学校教諭で有った私を、永遠、永久に、社会的に葬った地球人類に合掌。

 地球人類七十二億弱が核之超神霊の現実に成った

 地球人類七十二億弱が核之超神霊の現実に成った。

 養育費は下の地位・上の位

 養育費は下の地位・上の位。三船美佳が、高橋ジョージの上の地位・下の位の場合、養育費はもらえない。高橋ジョージが、三船美佳の子だから。子が、親に、養育費を払えるわけない。親というのは、下の地位・上の位。損している。三船敏郎が、損していれば、高橋ジョージの下の地位・上の位。自分の孫。損していなければ、親ではない。上の地位・下の位。